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ジェローム・ロビンスが死んだ 津野海太郎著 平凡社

副題はミュージカルと赤狩り、である。私がジェローム・ロビンスの名前を知ったのは映画「ウエスト・サイド物語」の振付家(コレオグラフィー)としてアカデミー賞を得た時、1961年、だっと思う。あのミュージカルは衝撃的だった。しかし、舞台、1957年初演、の方がもっと凄かったらしい。

彼が死んだのは1998年7月。踊りと振り付けで「踊る大紐育」(原題はオン・ザ・タウン)でブロードウエイで大当たりしたのが始まりで、1944年。音楽はあのバーンシュタイン。それからの輝かしい活躍の数々・・・。私は、著者の津野さんも、映画でしか楽しいミュージカルを知らない。

セオドア・ルーズベルトのニューディール政策の台頭・成功で第二次大戦終了直前までは民主的な文化活動も盛んだったらしい。対独・対日戦で協力したソ連だったが、終戦直前には既に冷戦は始まっていたらしい。こうした民主的な文化活動も冷戦の影響を受けた。





議会の非米活動委員会に演劇関係者、映画関係者、舞踊関係者などなどが呼ばれ、アメリカ共産党と関係を問われる・・・、いわゆる赤狩りである。自身が党員だったか、他に誰が党員だったか(naming namesと言う)・・・、断っても断らなくてもハリウッドでは、業界では、仕事がなくなる。生きて行くのが難しくなる。

映画監督のエリア・カザンが呼ばれたのは1952年、そこで 11人のnaming names をした。「波止場」を作ったのは1954年、彼はギリシャ系移民で、生きて行くには・・・、と言う言い訳を読むか聞くかしたことがある。「エリア・カザン自伝」朝日新聞社などを読んでみるか・・・。因みに、エリア・カザンはリー・ストラスバーグ(スーザン・ストラスバーグの父親)と共に俳優学校「アクターズ・スタジオ」発足させた。ここの出身者にはマーロン・ブランド、モンゴメリー・クリフト、ジェームス・ディーン?、等などがいる。

ジェローム・ロビンスが呼ばれたのは1953年で、8名の知人を名指しする、 naming names である。津野海太郎さんは何故そんなに簡単に naming names したのかを知りたくて、色々調べて、この本を書いたが、結論は余り良く分からない・・・、だろうと思う。しかし、J・ロビンスを調べているうちに、あれこれの映画人、ダンサーなどとあれこれの関わりがある事が分かり、それらも楽しくこの本に書き込まれている。

先頃死んだシド・チャリシーの名前も出て来る。連れ合いの話では、優れたクラシックバレーダンサーだったが、大き過ぎて、その世界では活躍できなかった、そうな。

そう言えば、ホモセクシュアルの話も出て来る。モンゴメリ・クリフトがホモだとは漏れ聞いていたが、何処で誰から?、J・ロビンスの愛人だったんだって・・・?! 読んだ時はへェー、はァーと驚いたが、単純なヘテロの私には残念ながら記憶に留まらない・・・、はて何が書いてあったか・・・。
by cassiopeam101 | 2008-09-10 16:47 | 単なる記憶/メモ